現代オペラを好きにならない理由

この記事はアフィリエイト広告を利用しています。

現代オペラのわざとらしく表情に出すところがあまり好きではありません。

ピッチが若干上ずるし、マイクを通さないと絶対に聞こえないし、音量を上げるとうるさくなります。
声そのものを鍛えるという考えがないのが、モダン歌唱の特徴です。
息の勢いだけで歌うのがモダン歌唱です。

フランコ・コレッリの「喉仏を下げたままにする」というのは、歌う上で重要なことです。
歌の基礎と言っても過言ではありません。

喉仏を下げたままにできないのに、やれ呼吸だ、やれ表現だといっても全く意味がありません。

喉仏を下げたままの声で歌うと、呼吸が自然と深くなりますし、表現も自動的につきます。
喉がいろいろな部位を最適化してくれる感じでしょうか。

とにかく基礎を作るのが先決です。
声楽を鍛えたかったら、芸術大学の声楽コースに通わないほうがいいかもしれません。
基礎訓練をしていないのに、いろいろな歌を歌わせられるからです。

スポーツで例えれば、何のトレーニングもせずに試合に出るようなものです。
筋肉を鍛えていない状態で走ったり投げたり跳んだりしたら、ケガしやすくなるのはたやすく想像できるはずです。

歌うときにはそれがまかり通っているわけです。
いきなり高音域を訓練もなしに歌わせるのです。
ほとんどの人たちは喉を壊すじゃないですか。

何度でも言い続けますよ。
これは歌を楽しむためにも大事なことですから。

指揮者至上主義

指揮者至上主義もオペラが衰退した原因です。

指揮者であっても、本来は歌う人にテンポを合わせなければなりません。
それぐらい歌い手の都合が最優先されたものです。

それをぶち壊したのが、ヘルベルト・フォン・カラヤンです。
音楽の巨匠と呼ばれていますが、実態は自分が何でも仕切らなければ気が済まない人間でした。

オーケストラの都合も考えないし、歌手の都合も考えない。
とにかく自分の気に入るテンポや間合いでしか演奏させたがらない。

カラヤンと口論になったのが、バリトン歌手のエットレ・バスティアニーニです。
録音の際に、カラヤンのテンポからずれるようになり、何度注意されても変えませんでした。
口論になって結局バスティアニーニが出ていきましたが、代役として抜擢されたのが、アルド・プロッティ

プロッティは対応力があっていろいろな表現をこなせると言われていますが、実際は息っぽいだけです。
YouTubeで聴けばわかると思いますが、とにかくピッチが上ずる。
声を伸ばせないです。声楽用語でソステヌートができないといいますが。

声のいい人はそれだけでカリスマ性、つまり、人を惹きつける力があります。
カリスマであるのは指揮者だけでいい、というのがカラヤンの考えでした。

カラヤンがオペラを衰退させた張本人とは、声楽を良く知っているものならだれでも知っています。

そして、録音技術やマイクロフォンの技術が向上したことにより、声の衰退に拍車をかけていきました。
今ではマイクがないと歌えないオペラ歌手もいるそうです。

「何のための歌だろう?」と思ってしまうのは私だけでしょうか?

演技も歌もごっちゃ混ぜになっているのが現代オペラです。
それだったら普通に演劇を見たり、ドラマを見たりすればいいんじゃないでしょうかと思ってしまいます。

声で聴かせるものという原点に立ってみませんか?
そうでないと、オペラは面白くありません。

マイクなしでも大ホールの観客席の一番後ろまで届くところがいいんですよ。
強い声も弱い声も。