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私の自己紹介について、だらだらとつづっていきます。

どんな人か?

かなりの変人です。権威を完全否定はしませんが、あまり信じません。
主に、こんな感じで活動しています。

  • 発声研究家
  • ピアノ研究家
  • ヤマハのピアノ演奏グレード5級取得
  • 合唱で歌い手として活動するのはお休み中(復帰は未定)

私は音楽が大好きな人です。
音楽好きな人はTwitterをフォローしてくれると嬉しいです。

イマッチのTwitter

趣味

私の趣味についていくつかだらだらと紹介していきます。

音楽鑑賞

主に音楽鑑賞です。音楽が大好きです。
ジャンルはクラシックとか合唱とか、あとゲーム音楽も大好きです。
オーケストラも好きになりました。
ピアノもいいけれど、管楽器も素敵ですね。

合唱は学部生のときはわりとのめりこんでいました。
現在はだいぶ距離をとっております。
合唱団で歌うという予定は現在ありません。
でも合唱を完全にやめたとは言っていませんのでご了承ください。
今でも(というか今のほうが)いろいろな合唱団の演奏会に行っています。
声が合わさると素敵な響きになるのはいいですね。

作曲・編曲もやっています。

編曲のほうがメインです。作曲はう~ん…。
自作した曲はYouTubeで公開しようと考えています。
早く曲を公開してほしい?もう少し待ってください。
公開するする詐欺にはならない程度にするから。

鉄道

もう一つの趣味は鉄道です。
電車に乗るのも好きです。
とは言っても、最近は乗る時間を作っていませんね。
今まで制覇したところはこんな感じです。

  • 三岐鉄道(三岐線、北勢線の両方とも)
  • 養老鉄道
  • 樽見鉄道
  • 愛知環状鉄道
  • 中央本線(名古屋~塩尻間)
  • 篠ノ井線

とりあえず次は明知鉄道長良川鉄道を制覇することにします。
名鉄も全部乗っていきたいところです。
贅沢ですね(笑)

好きなブログ

ここでは私が好きなブログについて、だらだらとまとめていきます。

プロ、音大声楽科講師も通う!宮前区在住 永田孝志の発声革命ブログ

6年前(2013年5月)に見つけて、現在も私の発声技術に役立てています
発声だけでなく、世の中のことに疑いをもって自分の意見を述べているので、
そういった姿勢が好きです。信念というものですね。

声楽は常に自分との闘いであるということに注目しています。
1940年代までの音源を聞くと、元気になれますね。
声というものを重視しているので、圧倒されます。そこがいいんですよ。

私はこの人にだいぶ影響されていますね。
この人が提唱している発声のお蔭で、ただのお人好しから少し図々しさが増しました(笑)。
人生は多少図々しさがあったほうがいいですからね。何事もバランス。
合唱からだいぶ距離を置いている原因はこれだと断言します(笑)

嫌いなもの

嫌いなもの挙げて何になるんだと思いますけど、あったほうが人間味ありますよね?
私だって人間ですから!だらだらとまとめていきます。

Microsoft Office

一番嫌いなものは、Microsoft Officeですね。
電機店行くとどのパソコンにも付属してきやがるから鬱陶しい。
あれのせいで、無駄に価格が吊り上がるんだよ!
Officeがないやつを選ぶのが難しいぐらい。
WPS OfficeとOpen Officeは許す(ほんと何様のつもりだろうね笑)。

あれは重たいです。数式ツールが使いづらいです。
Microsoft Officeに限らず、WYSIWYG(What You See Is What You Get,見たものが得られる)系のソフトウェアにどうしてもなじめません。
図を貼り付けるのは楽ですが、ページを切り替えようとするとフリーズしてしまうというのがネックです。
編集画面が美しいというのと引き換えにパフォーマンスを犠牲にしなければならないというのは気に入りません。

学部4年生のときにLaTeX(ラテフ。ラテックスと読まないように)に出会えたのはよかったと思います。
ソースコードを打ち込んで、美しいPDFを出力できるというのは感動ものです。
しかも数式も手軽に打ち込めるというのも素晴らしいですね。
慣れるまで時間がかかるのは仕方がないですが、そのデメリットを打ち消すぐらい訓練したおかげで快適に過ごさせていただいております(飛躍しすぎ)。

BeamerというLaTeXのソースコードを打ち込んでスライドを作るパッケージがあります。
これを覚えると数式に全くイライラすることなく、快適にスライドを作ることができます
あとは参考文献を挿入するのも楽ですし。
HTMLとかXMLとかCSS(cascading style sheet)とか、今言ったLaTeXのような構造的に見ることができるものをWYSIWYM(What You See Is What You Mean)といいます。
ほんとうにこっちのほうが読みやすいし、エディターがフリーズしにくい。

ホームページビルダーもVisual Basicもあまり好きじゃない

WYSIWYM系のソフトのほうが私には向いています。
中学校のときに習ったホームページビルダーもあまり好きではありません。
手軽なのは認めますが、細かい編集には向いていないのが弱点でしょう。
まあ、初心者用だからしょうがないですね。
Visual Basicも嫌いです。C++とかJavaとかのほうが編集しやすいです。
というのも、小学校6年生のときにはじめて触れたのがHTMLだから、ソースコードを打ち込んで作るのが当たり前という考え方が根付いたのでしょうか。

嫌いといっていても始まらないんだよなあ

嫌いと言っていても始まらないので、WordとかExcelとかPowerpointとかのようなMicrosoft Officeの製品しか使えない環境で作業するときはもちろん使いますが。
Wordで文書を作ることもできますし、Excelで表計算の関数を一通り使えますし、Powerpointで映像効果を付けたりもできますが、「できる」と「好き」は別ですね。
機能が多い分無駄に豪華な資料を作ってしまうことにもなりかねませんので(笑)、LaTeXを使ってシンプルな文書を作ったほうがいい場合もあるでしょう。
学術系のものだったらシンプルが好まれます。
ビジネスの場においても、Powerpoint禁止令が出されているところもあるのは無駄に豪華にするために時間を割かないようにするという背景があるのでしょうね。

Powerpointを禁止して、A4一枚で自分の報告すべきことを書こうという動きはいいことです。
どうやって自分のいいたいことを単純に伝えるのかが重要になってきます。
A4一枚だと使えるスペースは限られてきますからね。
要点を伝える力が身に付いてくるはずです。
背景が寂しい分、情報がはっきり見えてくるでしょう。

私が好きでないものはWYSIWYG系の、見ているものがそのまま出力されるようなソフトですね。
Microsoft Officeは重すぎるので嫌いです
使うしかないところでは使いますが、わざわざ自分のパソコンにインストールするほどじゃないです。

ピアノ上達のお話

ピアノを年長から始めて、今でもずっと続けています。

ピアノを始める

私がピアノを始めたのは、兄と保育園の年長だったときの先生に影響されてからです。

月刊ピアノという流行の曲を載せたピアノ雑誌があり、その中の曲を保育園の先生が弾いていて、
私も弾けるようになりたいと思いました。

家の中に電子ピアノがあったことも大きいでしょう。
でも楽譜は全く読めませんでした。

6歳からピアノ教室に通いました。
兄と同じピアノ教室で習っていました。
この先生とは家が近いので、今でもたまにばったり顔を合わせます。

私はもう一人の先生にも習いました。
その先生は自宅にまで出張してくれる先生でした。
エレクトーンの先生でしたが、ピアノも教えてくれました。

最初のころは、こっちの先生の印象が大きかったです。
いきなり連弾から始まりました。

その時の曲は、リチャード・クレイダーマンの「渚のアデリーヌ」。
今でもその時の楽譜は残っています。
月刊ピアノ1998年の7月号だったかな。

最初のころは、先生に叱られてばかりで泣いた覚えしかなかったんですよ。
ようやく全部弾き通せて、本当に嬉しかったです。
手もなかなか広げられなかったし、楽譜も読めなかったから、本当に苦労しました。

小学校に入り、母親の知り合いの人が、ヤマハのグレード試験について教えてくれて、
そこから一気に上達するきっかけとなりました。

同級生にピアノが弾ける人がいるうれしさ

小学校に入学してからもピアノは続きました。
エレクトーンの先生と母親の知り合いのこともあり、ヤマハの演奏グレードを受けようと思いました。
私の場合、7級から受け始めました。

いきなりの即興演奏からのスタート。
本当に何もわからないまま進んでいった感じ。
どうやって和音を崩していけばいいのかわからない。
メロディーを崩していくのもわからなかった。
即興演奏の洗礼を浴びました。

後日談として周りの人たちは9級からとか8級からとかでした。
なんか難しいと思ったら、そういうことか。
でもいきなり7級でよかったかもしれません。

もう一つのピアノレッスンでは、バイエルやツェルニー・リトルピアニスト、ピアノの森を中心に進んでいました。
わりと簡単めな教材。音符はすぐに追えます。
エレクトーンの先生にびしばしと鍛えられたから。

学校でも教室でたまに弾いていました。
電子オルガンだったからピアノのタッチでは弾きにくいです。
クラスの同級生たちにもピアノが弾ける人たちがそれなりにいました。
私よりも早いタイミングで始めてた人がほとんどです。3歳とか4歳とか。
だからといって、後れをとってるとは思いませんでした。

そして、2年生ぐらいだったかな。
ヤマハの演奏グレード7級の試験を受けた。

結果は一発合格
あまり実感はなかったけど。
エレクトーンの先生と両親は驚いていた。
まさか合格するなんて、と。

すぐに6級の練習をしたわけです。
7級で合格したこともあり、自信をもって練習に臨めた。
6級は思ったより難しくなかった。
基礎ができてたからかな。

楽譜の間違いを指摘する

演奏グレード7級に合格し、そのまま6級の練習をすることになった。
意外と難なくいけたけどね。

YPF(ヤマハピアノフェスティバル)のコンクールに出ることになった。
バッハのポロネーズを弾いたんだけど、結果は手厳しい評価。
コンクールにはあまり向いていないような気がした。

誰かに評価されるためだけに弾くというのはなんか気が進まない。
一応社会勉強だから参加してみたんだけどね。
この後も1回だけコンクールに出場した。
まあ、そのときもボロボロの評価だった。

このときは、月刊ピアノを毎月購入していて、今は630円(税別)だけど、
当時はなんと税込み500円で購入できたんですよ。
ワンコインで購入できた。
今でもご丁寧に保存しております。

2000年9月号がリストの「ラ・カンパネラ」の連弾楽譜が載っていたんだけど、これがひどい。
とても演奏できそうにもないというぐらいのミスプリント。
(エルガーの「威風堂々」もこれで知った。)

あまりにも間違いが多いから、はがきを送ったんですよ。

すると、どうなったかわかりますか?

ちゃんと校正された楽譜を送ってくれました。
エレクトーンの先生と一緒にYPF主催の発表会で連弾しました。

そのとき、私はソロの部も出ていて、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を弾きました。
無謀な挑戦だったなあ。指の動きもスムーズじゃないし、オクターブぎりぎり越せるぐらいだし。

先生もソロで弾いたけど何弾いたか覚えてない。

もう一方のピアノ教室では、ツェルニーとピアノの森を着実に進行しております。
小2の段階ではまだ発表会の話は出てなかったから、もうちょっと後の話だね。

ヤマハの演奏グレード6級の即興演奏では開離伴奏という厄介者。
今では大したことないけど、手を大きく広げないといけない。
ミスタッチが多かったんだよなあ。

このころもあまり強弱は意識できていなかった。
ただ音符を追っているだけ。
有頂天になってたよなあ。

演奏グレード6級も一発合格

小学2年のころの校内合唱発表会では1曲伴奏を務めた。
舞台の上にいてもあまり緊張しないんですよね。
いいのか悪いのかわからんけど。

小学3年になってから、担任の先生がバイオリン弾けるということで、音楽の話がかみ合った。
お楽しみ会ではバイオリンとピアノの重奏。結構好評だった。
ベートーヴェンの「メヌエット ト長調」を演奏しました。

エレクトーンの先生とはヤマハの演奏グレード6級のための練習。
なかなか厳しくて泣いたときもあった。
言われたことを理解してても、指が追いつかないんです。

演奏グレード6級も一発合格できました。
まあ、それなりには嬉しかったです。
大きくガッツポーズするというわけではありませんでした。

6級に合格したという話は、普通に同級生の間で広まりました。
私は何もいっていないのに、どうして広まったんだろうと思いましたが。
「合格おめでとう」という言葉には、「ありがとう」と言ってました。

このまま5級に挑戦しようというところですが、そこまで順調ではありませんでした。
5級までは7年の歳月が必要だとはだれも知る由はなかった。

エレクトーンの先生が自らやめる!?

物事は順風満帆に進まないものです。

小学4年生になったときの話です。
このときも月刊ピアノを毎月購入していました。

月刊ピアノで一番好きだったのが、ピアニスターHIROSHIのコーナー。
この人は右手で「いぬのおまわりさん」、左手で「ねこふんじゃった」を演奏するので有名です。
今でも現役です。

このコーナーのお蔭でアレンジに目覚めました。現在までずっと。
これが始まりですね。もっと前にもこのコーナーあったんですけど、理解するには実力が足りないというか。

「耳コピ」という言葉を知る前から、音楽を聴いて再現するというのはやってたかなあ。
ちょうどこのときぐらいから、耳コピしたんだよ。

少しギターも弾いていて、コードネームもだいたいはピアノで再現できた。
今でもコードを見ただけで普通に伴奏に書き起こせるからね。
他の人から見たら無理難題かもしれないけど。
(あのFは小学4年生の指にはきつすぎる、押さえられない。どういう意味かわかるかな?)

5級も有頂天になって受けようかなと思ってたところなんだよ。

エレクトーンの先生のほうが、自信なくしちゃって。
教えるのはできそうにない、と。

そのままレッスンの話もなくなっちゃったんだね。
教え方はよかったのにもったいない。

しばらくグレード5級の話はお休みになったんだなあ。

兄は中学卒業と同時にピアノ教室に行くのを辞めた。
私一人だけになった。

4年生のときに、もう一方のピアノ教室の先生も発表会開いたんだけど、何演奏したか覚えてない。
いろいろ発表会出たんだけど、あまり記憶にないものばかり。

なんだろう、そこまでピアノを主体的にやってたというわけではないようだ。

アレンジ能力の開花

ヤマハの演奏グレード5級の話はしばらくお休みになった。
エレクトーンの先生のほうからやめちゃったからね。

私と同じくらい初見能力がある人が、同級生の中にもう一人いた。
その子も楽譜は読めるし、耳コピもできる。
学校内の発表会では競い合った(と思っていた)。

アレンジ能力もあって、その人のアレンジをパクることもあった。

そもそも私がアレンジに興味を抱いたのは、月刊ピアノの後ろに付いてくる「ピアニスターHIROSHI」のコーナー。
この人は右手で「いぬのおまわりさん」を、左手で「まいごのこねこちゃん」を同時演奏することで有名な人だ。今でも現役だ。

だいぶ前からあったんだけどね、幼いころの私の頭では理解できなかったし、実践できなかった。
この当時なら理解できたので、昔のやつを引っ張り出して弾いてみた。

コードもこのときから覚えるようになった。ドミソなどの和音の組み立て方のことだ。
いろいろ理解できてくると、本当に面白い。
学校から帰ってきては、狂ったようにピアノを弾いていた。

ゲーム音楽の耳コピもこのときから。
スーパーマリオとかボンバーマンとか。
ゲームの中で使われている曲を再現していた。

ゲームにもはまっていたし、ピアノにもはまっていた。

最初のピアノ教室をやめる

月刊ピアノでピアニスターHIROSHIのコーナーにはまっていたが、もう一つジャズのほうも気に入っていました。
ジャズはそんなに熱心じゃなかったけど、のちに自分の編曲に影響するようになったかな。

小学校のときはずっと同じピアノ教室に通ってました。
このときのピアノ教室は楽しくピアノを弾けるようにするというスタンスなので、どちらかといえば実力アップは二の次でした。

小学5年のときは特に伴奏をしたというのはありませんでしたが、ピアノの練習は主にツェルニー30番とソナチネをやっていました。
あとは自分でアレンジしたのを弾いていました。アレンジにはまっていた。

小学6年になり、このときは同級生たちと連弾を楽しんでいたかな。
普通の電子オルガンで無理やり3人で連弾したときもあった。

ピアノ教室で発表会を開くという話があり、出ることにした。
ショパンの「英雄ポロネーズ」を弾いた。手が大きくないとオクターブが不便。
よく背伸びしたなと思う。自分の実力よりもだいぶ上の曲を選んだ。
そうでなかったら、今の自分はなかったに違いない。

発表会はさほど緊張しなかった。
あまり緊張感がないんですよ。
いつもと同じテンションでいられるというのがおかしいくらい。

学校での発表会でも、ピアノ伴奏した。
「つばさをだいて」を伴奏した。
さすがに人前なので余計なアレンジは加えなかった。加えたかったけど。

卒業式は伴奏者の候補が多かったから、私は歌うほうに専念。

小学校卒業したあたりで、ピアノ教室に行くのをやめた。
理由は、ヤマハの演奏グレード5級を受けるからだ。

カルチャーセンターのようなところが駅の近くにあり、そこでヤマハの先生が見つかった。
そこで教えてもらえることになったので、ピアノ教室を変えた。
中学生になってからのお話。
そのまま順風満帆に5級を受けられるかと思いきや、ひと悶着どころか、いくらでも問題が起きた

ヤマハの先生の教えてもらうが…

中学生になり、カルチャーセンターのほうでピアノを習うことになった。
最初の先生はヤマハの巨匠クラスと言われていたが、実態はただの高額レッスンを斡旋する営業マン。

演奏グレード5級は、課題曲と自由曲、即興演奏がある。6級と変わらないように見えるが、大きく違うのが、即興演奏。
メロディーを装飾して弾く、変奏が2種類になったこと。
もう一つはモチーフ課題といって、2小節のメロディーが与えられ、そこからメロディーを広げていく。いわば作曲のようなものだ。

まずは変奏のほう。最初はメロディーに伴奏を付けて弾き、次に第1変奏。これはメロディーを少しいじるだけでよい。伴奏付けはさっきと変えなきゃいけない。
最後に第2変奏。第1のときよりも、難しい演奏をすることが求められる。変奏のパターンを2通りでやらないといけない。アレンジに慣れていない人だとなかなかできない。

即興演奏で厄介なのがモチーフ。最初の2小節からメロディーを展開していく、作曲のようなものだ。
前後のつじつまが合うように、構成していかなければならない。

最初の先生は即興演奏をほとんど教えてくれなかった。課題曲ばかり見てた。ときどき自由曲。1回のレッスンで45分しかないから、まあ、しかたないけど。
即興演奏は自分で覚えた。

中学2年生の7月ぐらいに、最初の先生が病気でいなくなって、次の先生に代わった。
この先生から得られたことはあまりなかった。5級とったばかりで何もノウハウがないような感じだった。

いちばんひどいのが、即興演奏。
解離伴奏というオクターブ以上の音型で伴奏付けをしなかったり、変奏やモチーフで右手に和音を付けたりしない。

即興演奏は7級か6級レベルの指導だった。まあ、先生の苦手科目かもね。

唯一得られたのが、モチーフのコード進行。これはわからなかったからわかってよかった。

でもこの先生にも長くは続かなかった。

最初の先生が病気から快復して戻ってきたときに、開口一番こう言われた。

「演奏グレード5級を受けたいなら、ヤマハの特別講習を受けてください」と。

おい、ふざけんじゃねーよ!
本気で思った。

だって、ここで練習すれば、5級を受けられるようにすると言われて、それだったらいいよとレッスンを受けた。

最初と言ってることが違うじゃねーか!

でも、よく考えてみたら、最初の先生はヤマハ本部の営業の人でもあった。

そりゃそうだよね。
高額な集団レッスンを受けてもらったほうが営業成績になるんだもん。

ここで練習しても一生5級の試験は受けられないじゃん、と。
行く意味ないじゃん。
ああ、騙されたなあ。

中学3年の夏に、このカルチャーセンターでピアノのレッスンを受けるのを完全にやめた。

2か月ぐらいレッスンを受けなかった。
その間もいろいろピアノ教室を探したんだよね。でも見つからなかった。

ある日のこと、母親の知り合いのツテで、ピアノの先生が見つかった。
一目見ただけでこの先生にしようと決めた。
指導はちょっと厳しかったけど、自分の実力アップのためなら問題ない。

この先生のおかげで私のピアノの演奏技術は大きく向上することになった。

中学でも合唱コンクールでピアノ伴奏をする

ヤマハの先生に習い始めたときと同じ時期のお話。
中学校に入ってから、私がピアノを弾けるというのは、同級生たちによって広まっていった。

中学校の音楽の授業は、毎回音楽室で行っていた。
グランドピアノが置いてあるので、たまに先生から伴奏を任されるときもあった。

合唱コンクールの伴奏も、自分から手を挙げて立候補すれば、すぐに伴奏者になった。中学生のころも、有頂天になってたね。
その日が来るまでは。

1年のときは「空駆ける天馬」、2年のときは「親知らず子知らず」、そして3年のときは「君とみた海」を伴奏した。
中学3年間でずっと伴奏してた。
1年と3年のときにクラス合唱で最優秀賞をとり、2年のとき最優秀伴奏者賞をとった。

卒業式でも「旅立ちの日に」の伴奏をした。
先生たちにずっと弾いてほしいと言われたが、まあ、卒業していなくなるから無理ですよね(笑)。
(「大地讃頌」を吹奏楽ではなくて、ピアノ伴奏のほうがいいと一部の先生方から言われたけれど、そこは私に言ってもしょうがないですけどね。)

有頂天は打ち砕かれる

中学3年の夏にカルチャーセンターで習うのをやめて2か月、新しくピアノ教室を探していたがなかなか見つからない。
10月のある日、母親の知り合いのツテでようやく見つかった。

ここのピアノ教室も最初のところよりは家から遠いが、十分通える距離だったのでここに
決めた。

最初のレッスンで大きくショックを受けた。
有頂天は打ち砕かれた。

「私のレッスンの受けている、あなたと同じ年齢の子たちはもっといい音が出ます。あなたは基礎ができていません」
と思い切り言われた。

泣きはしなかったが、ショックを受けた。

特に、当時の私はピアノを弾いている間、手首を上下に動かす癖があった。
手首がどうも疲れるなあと思ったら、手首だけに力が集中してたのがわかった。

ピアノは指先で弾かなければならない。指の付け根を意識するように。

最初のうちはハノンを使って、指の使い方を学び直した。指の付け根を意識して、手首に力を入れすぎないように。

手首の癖を完全に矯正するのに5年かかった。

私が今まで書いてあることは、この先生の受け売りでもあります。

このときに大きく有頂天になってたところから突き落とされなければ、今の私はなかったと断言する。
今でもピアノを楽しんでいたかわからない。

この先生のレッスンでは、ほとんどベートーヴェンのピアノソナタに時間を費やしたといっても過言ではない。
あと、ツェルニーの40番50番、バッハの3声インヴェンション、そしてショパンの練習曲にも触れた。バッハのフランス組曲はあまりやってなかったな。

ベートーヴェンのピアノソナタ全部、1番から32番まで3年ちょっとの間で弾き通した。
ざっと触れただけで、あまり細かく作り込んではいないけどね。
9番の第3楽章は5級の自由曲にしていたのもあり、これはそれなりに作り込んだ。
一番大変なのは29番。音符が細かいし、とにかく長い。4楽章すべてで40分ぐらい。交響曲と一緒だね。

高校時代も時間があれば、ずっとピアノを弾いていました。
音大生にでもなるわけではないけど、弾くのが楽しい。

演奏グレード5級も一発合格

こちらのお話もしないといけませんね。

演奏グレード5級は狭き門などと言われたが、点数さえ満たせばいいだけ。順位は関係ない。
ヤマハの先生からはずっと不安を煽られた。
なんでこの人はこれしか言わないのだろう?という疑問があったが、高額な集団レッスンのためだったからだと今思えばわかる。

中学3年の後半は5級のために特訓した。
課題曲と自由曲ともに、強弱の付け方がわかるようになってきた。
同じ強弱記号でも、ある場所では強く、ある場所では弱く、相対的に演奏しなければならない。
相対的にとらえられるようになったのもこのときだ。

高校に入ってからすぐ、グレード5級の試験を受けた。やっとだよ。
会場では緊張した。今までとは違って、やらなければならないことが多い。

特に即興演奏。渡された楽譜を見て、譜面だけでどう即興演奏すればいいか組み立てる。変奏は、今までとは違い、第一変奏と第二変奏の2通り考える必要がある。
モチーフ課題は、2小節のメロディーから全体像をどう作るか、コード進行をどうするか考える必要がある。
頭の中がパニックにはならなかったものの、一番緊張したのは即興演奏だった。

大きなミスをすることなく無事済んだ。

家にヤマハからの封筒が届いた。

「合格」の二文字。

各項目で100点満点中の75点というギリギリセーフで合格した。
このときは本当に嬉しかった。
念願の演奏グレード5級に合格したのだ!

同時に申し込み用紙も付いてきた。
4級も受けてねということだ。

現在4級の勉強をしているところだ。
といっても、このときから11年経っている。
受ける詐欺ですね(笑)。

高校生になってからも同じく

高校生になってからも、ピアノは続いた。
毎週レッスンに通うのが楽しみだった。あまり練習しなかったけど。

高校でも、音楽の授業はあった。1年生のときだけ。
(私が通っていた高校では、3年生でも文系私立受けるクラスは音楽か書道を選択できた。)

リコーダー演奏や歌のテストはもちろんのこと、
ピアノで連弾するということもあった。

私は10年ぐらいの経験者なので、同級生たちに教えた。
教えるのはなかなか大変だということがよくわかる。
まずは片手ずつできるようにしていく。いきなり両手じゃ混乱するからね。
最後にみんなの前で発表するという形だが、なんとか通せてよかった。

1学期の最後はみんなで合奏することで終わった。
2学期、3学期の最後は5人ぐらいのグループで合奏するという形だった。
自由に楽器を選べたのだが、2学期のときは私がピアノ伴奏しながらみんなを引っ張っていったが、
3学期のときは、あえてピアノ伴奏から外れた。打楽器を選んだ。
あまりね、私が出しゃばるのも微妙だったから、ほかの人をメインにした。
(合唱コンクールの伴奏者をやったのもあるからね。でも完全に気配を消すわけにはいかない)

合唱コンクール(学校内で行う)の話はというと、1学期の終わりぐらいに決めて、夏休み明け2週間ぐらいあとに本番。
私が伴奏者に立候補した。ほかの人も何人か立候補したので意外とすぐには決まらなかったが、紆余曲折の後、私に決まった。

高校生になると、何人かの男子が主体となって引っ張ってくれた。
私としては楽できたのでうれしい。
男子が練習しないというのは中学校に置き去りになったのだろうか?
みんな少しずつ大人になるというものかもしれない。

私の高校では、2年生になると文系(歴史の授業がメイン)と理系(物理・化学メイン)に分かれる。
社会系の授業に偏るか、理科系の授業に偏るかだ。
まあ、国語・数学・英語は文系理系の区別はしないからね。

私は2年生のとき、理系クラスに行った。
女子は1ケタ台、残り男子というほぼ男子クラス。

合唱コンクールでは普通の楽譜ではまともに演奏できない。

だいたいの楽譜はソプラノ、アルト、男声の混声3部合唱か、
ソプラノ、アルト、テノール、バスの混声4部合唱だからだ。
そこにピアノ伴奏がついてくる。
これをまともに使おうにもパートバランスが悪いどころの話じゃない。
女声1パートで男声を3パートか4パートに分けないといけない。

昔からアレンジが好きだと知られていたのかはわからないが、
ヤマハのぷりんと楽譜にある、ゴスペラーズの「星屑の街」をなんとか編曲したものだよ。

編曲したものをなんとか印刷して、みんなに配って練習して、さあ合唱コンクールというときに、思わぬ事態が発生!
2009年って何があったかわかりますか?

新型インフルエンザ
が蔓延してしまいました。

私の学校も例外ではなかった。
文化祭前日に、インフルエンザの影響で1週間延期。

シルバーウィークだったので、次の週の水曜日まで学校はお休み。
木曜日と金曜日で、文化祭と体育祭を行った。

文化祭の日の合唱コンクールは散々だった。
体調不良の影響もあったが、今までの練習を完全に忘れてしまうという、最悪なことが現実になってしまった。
ずっと学校内で語り継がれる話になってしまった。

打ち上げは体調不良で休んだ。参加したかったけど、体がだるかったからしょうがないね。

また次の週に私のクラスだけ学級閉鎖というおまけがついた。
本当にどうかしてたな。このときは。

このときから、私は合唱というものに興味をもつようになった。
ChoralWiki(www2.cpdl.org/wiki/index.php/Main_Page)という合唱楽譜がいっぱい置いてあるサイトで、合唱楽譜の作り方を研究した。
いろんな楽譜を見ながら、自分の楽譜づくりに活かした。
高校2年生の後半は合唱への興味が尽きなかったな。

高校2年生のときに校内合唱コンクールは悲惨という言葉では言い表せないぐらいだった。
本当に悔しかった。賞をとれなかったからではない。このままでは不満しか残らない。

そして私は合唱の楽譜をいろいろ見て研究した。

一方で、ピアノのレッスンはいつも通り続けていた。
ツェルニー50番に苦戦していたんだよ。指がなかなか動かない。ゆっくり演奏してもきつい。

高校3年のとき、クラス替えといっても、5人ぐらい入れ替わった程度かな。

合唱コンクールの準備を少し早めにした。
曲を決めるのも早くしてもらった。編曲するタイミングも早くできるから。

前年があまりにもひどかったから、みんなも協力してくれた。
ほんとうにありがたい。私だけではなかった、悔しい思いをしたのは。

朝もやれる人たちだけで練習した。
私もできる限り歌の協力をした。伴奏者だけどね。
このときから歌うことに対する苦手意識が少なくなった。大きな進歩だね。

練習のときにもうちょっとズバズバ言ってもよかったかも。
図々しいタイプの人がそれなりにいたもんだから、多少言っても許されたし。

いろいろ紆余曲折を経て、本番ではひどいことにならずに済んだ。
何とか曲になった。
先生たちも前年とのギャップに驚いていた。
(卒業後にもらったDVDでは、結構音程が下がっていて、結局ひどかったけど笑)

打ち上げの焼肉は結構おなかいっぱいの1割増しぐらいで食べた。
その前のカラオケも思い切り楽しんだ。
私が主役だと言わんばかりに。
でもね、ほかの人たちの協力があったからこそ、こういった「横暴」ができるものだよ。
本当にみんなに感謝してる、ここまで協力してくれて。
今では会う人少ない。1人だけ今でも仲良くしてる人がいるけど、その他の人たちはどこかで元気にしてるだろう。

文化祭、体育祭が終わって、あとは受験勉強。

受験勉強中も、ピアノのレッスンには毎週通った。
練習曲は、ショパンの練習曲集。だいぶ背伸びしてたな。
ベートーヴェンのピアノソナタを重要なポイントだけ教えてもらいながら弾きとおした。

合唱の研究も同時進行でやってた。
合唱への熱が冷めないどころか、さらに熱を増す状態。

大学受験も第一志望に一発合格だった。
合唱団に入ってみたいと思っていた。

高校を卒業した3月の末にピアノのレッスンをやめた。
この先生のおかげでどれだけ進歩したのだろう。
この先生のおかげでどれだけピアノを楽しむことができているだろう。

大学以降はほとんど連絡をとっていないという不義理をしてしまっている。
本当に申し訳ないことをしている。

やってることといえば、年賀状を毎年出すぐらいか。
自分が元気に生きているというアピールをするために。
自分が今でもピアノを楽しんでいるということを伝えるために。

大学生になってもまだまだ続くよ

大学生になってから、合唱の熱は高まったまま。
どこか合唱団探そうとしたが、思ったところは見つからず。

新歓に行ったところが、コンクール行きますという熱血(が似合う)合唱団と、
コンクールには行かないそれなりにゆるい合唱団だったが
あまり入ろうという気にもならなかった。

とりあえずサークル見つけるまで2か月は、
大学構内を歩いたり、近くのお店に出たり入ったりした。

6月の中旬に、もう1つ合唱団があり、見学に行ってみて入ろうという思った。
2回見学に行ってみて合えばいいぐらいの気持ちで見学したら、
いつの間にか入団した。

この合唱団はコンクールに全く出ない。私にとってはコンクールは嫌いなのでよかった。
定期演奏会は毎年行っている。
私は定期演奏会では伴奏を一切しない。
合唱団側が毎年芸術大学からピアノ伴奏者を呼ぶことになっている。もちろん謝礼を払って。

その代わりといっては何だろう、年に3回団内発表会があり、自由にいろんな合唱曲に触れ合えるというメリットがある。
生涯学習センターを借りて行っていた。
この団内発表会は新しい合唱曲を知る機会にもなってた。
ここで私は4年間ずっと、ほぼ毎回自分の編曲を披露してた。
コード進行はわかってても、適正な音域とかはよくわかっていなかったので、
だいたい難しい仕様になってた。

この団内発表会で、ピアノを伴奏するときもあった。
あまり練習せずに臨んではいけないけど、簡単なやつだったら結構手抜きしてたのは内緒。
中学合唱では卒業式でやった、「大地讃頌」とか「旅立ちの日に」とかはよく伴奏してた。
ほかのやつはあまり覚えがないけど、中学合唱に載っている曲ならまんべんなく演奏した感じかな。
高校合唱の「信じる」とか「聞こえる」とかもよく伴奏してた。
特に「旅立ちの日に」と「信じる」の二つは余計なアレンジを加えたくなるんですよね。

「信じる」は前奏のBPM86のところを遅くしてBPM50ぐらいで弾いたり、中間部分も同じぐらい遅くして弾いたりして、あえて歌い手に迷惑をかけることもあった。フェルマータの前をとにかくこれでもかというぐらいに遅くして演奏してた。
「旅立ちの日に」は最初普通、真ん中遅く、最後ものすごく速くするという迷惑っぷりを発揮した(笑)。

また、団内発表会だけでなく、団内ピアノ発表会もあった。
2年のときと3年のときにピアノを弾いた。
団内発表会では披露できない、ピアノ曲を披露したり、
1回だけ自分の編曲を披露したこともあった。

大学合唱団でもピアノを楽しむ機会は十分にあった。

現在は?

こんなかんじでだらだらと情報発信をしています。
ピアノ演奏をYouTubeにアップロードしています。
少しだけですけど。

昔は歌が嫌いでした

もう一つ歌の上達のお話についても紹介しましょう。
実は高校2年生のときまで、私は歌が苦手で人前で歌いたくありませんでした。

小学校の合唱発表会や、中学校・高校の合唱コンクールでは毎回ピアノ伴奏をしていました。
ピアノが弾けるからという理由もありましたが、一番は歌いたくないからでした。

小学生のときに音痴のレッテルを貼られる

小学校のときは、よく「ピアノを弾けるなら、歌もうまいよね?」とプレッシャーをかけられていました。
その時から楽譜は読めました。

しかし、歌うときにどうやって音程をとればいいのかはわかりませんでした。
歌のテストは特に地獄でした。
みんなの前で一人ずつ歌うからです。
音を外すたびに、いろんな人にからかわれました。

音痴というレッテルを貼られたのは言うまでもありません。

ピアノを弾くためには手や指が動かなければなりませんが、歌を歌うためには喉のコントロールができていなければなりません。
コントロールをする部位が違うのは一目瞭然でしょう。

助けを求めようにも、「ピアノを弾けるなら、歌もうまいよね?」の一点張りで誰も助けてくれませんでした。

中学生のとき、声変わりでさらに歌が怖くなる

中学になってからも歌うのは怖くて、音楽の成績があまり芳しくありませんでした。
中学2年生の途中で声変わりして、なかなか思うように声が出ませんでした。
他の人たちは思うように歌えているのに、自分だけなかなか歌えなくて、もどかしい日々を過ごしました。
さすがにこのころは「ピアノを弾けるなら、歌もうまいよね?」と言われることはなくなりましたが。

卒業式の「大地讃頌」にかなり苦戦しました。
音域が広いので、大人の人でもなかなか歌えないのに、中学生には拷問ですよ。
中学校の合唱は音楽嫌いを増やしているのではないかと思いました。

高校生になってから、転機が訪れる

高校生になってから、ニコニコ動画を見ているときに、ある動画に出会いました。
歌唱力があまりなくても、自信をもってもいいんだと思うようになり、そこから歌の練習に励みました。
このころにミックスボイスという言葉を知りました。
ファルセットと実声を組み合わせることで習得するものと言われていますが、このころは習得することができませんでした。

カラオケというものをイマイチ知らなかったので、友達に誘われてカラオケで歌ってみました。
思ったよりも歌えたので、さらに調子に乗って、もう少し歌唱力を鍛えるようにしました。
だが、歌うと喉が痛くなり、原因がわからなくて困っていました。

音域調査サイトで、寺尾聰さんの曲が自分にとって歌いやすいということがわかりました。
この人、「博士の愛した数式」で見たことはありましたが、元歌手ということは知りませんでした。
「ルビーの指環」は今でも歌い続ける曲です。十八番です。

自分で歌える曲を探せたので、2回目以降に誘われた時も、断ることはありませんでした。
レパートリーは大体福山雅治さんの曲か、寺尾聰さんの曲でした。

そのおかげで歌が嫌いだったところから、好きになりました。

大学生になり、合唱団に入る

合唱にも興味があったので、大学生の時は合唱団で歌っていました。

このころは歌うと喉が痛くなる症状は未だに直らず、歌った時に風邪を引くことが多くなりました。
2年生の時に完全に喉を壊して、歌えなくなったときもありました。
あのときはつらかったです。
幸い授業中にみんなの前でしゃべるのがなかったのが救いでしたね。

またしても、転機が訪れる

3年生のとき、歌が上達する方法を日々インターネットで探していたら、永田孝志さんのブログを見つけました。
人生が変わったと言っても過言ではありません。

永田孝志さんの提唱する発声はこんな感じです:

  • 巷の発声とは違う、一見非常識な発声法で、脱力に頼らず体全体の力を使って、声を出す
  • 喉の力を使って、特に高音域では喉を締める感じで発声する
  • 喉仏の一番下から声を出す(喉発音

また、上川一秋さんの「英語喉」もこのときに知りました。

この喉発音を合唱で歌うときに取り入れたら、歌った後に喉が痛くなる回数が減りました
それから歌が楽しめるようになり、大学4年生の定期演奏会ではソロを受け持つまでになりました。

合唱お休みします

合唱団で歌うのは大学生活だけで、現在に至るまでお休み期間(復帰は未定)です。
演奏会に聴きに行く回数が大学生のときよりも増えました。

それでも、発声の研究は欠かしませんでした。

永田孝志さんのブログで新しい情報を得ていて、日に日に声がパワーアップしているのが自分でもわかります。
風邪を引いたときも声が出なくなることがないので、風邪を引いても安心です。

現在は

歌うのが今はいちばん楽しいです。
来年もまた「歌うのがいちばん楽しい」といえるようになりたいです。

発声研究家を名乗っております。
発声について独自に研究しています。

  • 発声について
  • 発音について
  • 姿勢について
  • 表情について
  • 音域について

など、常に疑問をもって、研究を進めています。
よりよい方法があれば、そちらの方法に更新していきます。

凝り固まった考えを持たず、常に更新し続けていくことを心がけています。

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