選挙で白票を投じても意味がないどころか…

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選挙で、与党は信用できないけど、野党も信用できないからどこにも投票する先がない。
だけど棄権したくないから、白票を投票しよう。
白票で政府に「No!」を突きつけよう。

そう、この画像のように。

と考えた人たち、残念ながら、白票を投票しても何も変わりません

選挙で白票を投じても意味がない。それどころか…

その行為は、選挙を棄権する行為とまったく一緒です。
与党が信用できないなら、野党のどこかの政党に投票しましょう
それしか政府にNoを突きつける行為はありません

白票を投票したって無駄です。

思い出してみてください。

2009年に民主党政権になったのは、自民党よりも民主党に投票した人が多かったからです。
与党よりも野党のほうが得票数が多ければ、そちらに政権をつかむのは当然です。

民衆が自民党にNoを突きつけた結果ではないでしょうか?
民衆が民主党に票を入れたから、自民党にNoを突きつけられた。

仮に白票を入れていたら、民主党政権は誕生しませんでした。
だって、自民党のほうが民主党よりも得票数が多いのですから。

白票を投票しても無駄です。

白票が考えられた背景

2014年に未来日本ネットワークが、「黙ってないで、NO!と言おう。」というページを立ち上げてから、その考えは強くなりました。
それ以前にも白票を投票した人はそれなりにいたとは思います。

未来日本ネットワークの考えは以下の通りです。

先のスコットランド独立をかけた投票の結果、独立はなりませんでしたが、英国中央政府はスコットランド地方に対して最大限の、地方自治に近い権限を与えることでその思いに配慮を示しました。
多数決の選挙結果では勝ちは勝ち、負けは負けのルールが厳格にしかれている中で、敗者である人々の意見に配慮せざるを得なかったのは、ひとえにその投票率の高さ(選挙民の86%が投票)による民意の力です。
権力が最も恐れるのは、多数の民衆の意見です。多くの人々がいやだと言っている事を、多数を占めたからといって、押し通すことは権力の力を衰えさせることにつながることを彼らは知っています。
ですから、入れたい候補がいないとき、誰に入れてわからないときは棄権せず、”誰もいないよ!”と言いましょう!その思いを白票に込めて投票しましょう!
その声は、きっと政治家達に、権力者達に伝わります。そして彼らはその声に配慮せざるを得なくなります。スコットランドのように負けても、大きく権力の形を変える事が出来ます。

黙ってちゃダメ! NOと言おう!
“Let’s say booing!”

どんな職種もそうですが、競り合うことによって自然と熱心になり、切磋琢磨されて行きます。しかし現状の政治家を見ていますと、自民党、公明党の連立与党の議員が圧倒的に有利で一人勝ちの状況です。ただし、投票率の低さからも、彼等が支持されて当選しているというよりも、支持したい人が他にいないからという場合も多いと思われます。
また与党に反対する野党に至っては、そもそも信頼できる政党たりえるのかが不安な状況で、投票するのがはばかられるような現状です。入れたい人がいないから、誰に入れていいかわからないから投票に行く気になれない。このことを気持ちとして表すと、候補者達にブーイングをするということになります。誰に入れていいかわからないのは、政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っているということの表れでもあります。

入れたい人がいない、誰に入れていいのかわからない、支持する政党がない、政党は支持するが候補者を支持する気になれない、この思いを政治家たちに伝えましょう。その思いを込めて、投票場に行って白票を投じましょう。
この誰にでもできる、簡単な1人ひとりの行為の積み上げが、国を動かす大きな声になります。

日本は、技術者、研究者、経営者は世界のトップレベルだと感じますが、政治家はそれらに比べてひどく質が落ちるという感じは否めません。
記者質問の場で人目憚らず号泣する人がいたり、様々なスキャンダルが出るたびの応対ぶりからもその質の低さを感じさせる事が多いと思います。
これは、自己主張やアピールによって、政治的リーダーになることが原則の民主主義においては、「能ある鷹は爪を隠す」「沈黙は金」といった風潮の我が国では、どうしても優秀な人材が後ろに控えてしまう傾向があります。その結果、目立ちたがり屋のちょっと首を傾げたくなるような人や代々の政治家系の世襲議員によって多くを占められてしまっているのが現状だと思います。
民主主義では、この国民にしてこの議員という言い方がなされます。議員を選ぶのは一般市民であるので、その意識によって政治家の質が変わるということの一表現です。

グローバル化する世界で、国家間のせめぎ合いが増してゆくなかで、国内外において、外交、経済にとどまらずあらゆる分野において優秀な政治家の必要性は、ますます高まってきています。
優秀な人材が選挙に出やすい環境をつくるためにも、既存の候補では不満なのだという民意を示すことは有効です。投票を棄権せずに、有権者が全ての候補者に対して支持する気になれないという気持ちを、白票を投じて候補者たちに伝えることで、政治にプレッシャーをかけて政治家の質を上げてゆく。そういった有権者の意思表示の仕方を市民感情の表現手段の一つに加えることは大きな意味を持ちます。市民が政治家を切磋琢磨し鍛え上げるという、これまでの”政治のことは政治家にお任せ”的な他人任せでなく、広く市民が参加し、市民が政治を、政治家を育て上げてゆくという、一歩成熟した民主主義国家へのステップアップに繋がってゆく活動であると考えております。

白票を投じることの大切さを述べていますね。
だけど、現実は違います。

白票を投じたからと言って世の中が変わることはありえません。
私は断言します。

選挙は数字がすべて

白票を投じることは、一見民主主義的で、自分の考えを示したかのようです。

でも選挙は結果が全てです。
数字がすべてです。
数字が動かなかったら何も変わりません。

白票を投じても得票結果に何の影響も与えません。
棄権しても得票結果に何の影響も与えません。

つまり、結果的に見れば、白票を投じることは選挙で棄権することと一緒です。
心情的には、選挙で棄権するよりはマシですが。

だけど、選挙は数字がすべてなので、白票と棄権は一緒です。
白票が多くても、与党の人が危機感を持つことはありません。

白票を投じたからといって、この漫画みたいにはならない


白票が多くても、与党の政治家たちが危機感をもつことはありえません。
むしろ与党の政治家たちは、野党に投票してくれなくてラッキーとしか思っていません。
白票に対して何にも思いません。マジです。

与党にNoを突きつけたいなら、白票を投票するな

白票は、与党に投票するのと一緒だと言っても過言ではありません。
野党に投票していなければ、与党に投票したのと一緒です。

だから、野党のどこかに投票しましょう。
不謹慎なことを言いますが、ルーレットを回してどこかの野党に投票しても構いません。

だって、Noを突きつけたいのでしょう?
Noを突きつける方法は、野党に投票する、ただ一つです。

もう一つ言っておきたいことがあります。
「与党を信用できないし、野党も信用できない」と思うのは、むしろ正常です。
安心してください。

れいわ新選組の山本太郎さんは街頭演説で言っています。

私を参考にするのは構いませんが、私も信用しないでください。
権力はそれらしいことを言って、嘘をつきますから。

信用できないのは判断力が正常な証拠です。
疑わずに盲目的になるのはいけません。

そう、きれいな手で民衆に毒薬を飲ませる人かどうかを見極める力が大切です。

私は「きれいな手で民衆に毒薬を飲ませる人」よりも「汚い手で民衆にいつでも温かいご飯が食べられるようにする人」を支持します。

音声でも語っています

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