格好悪くてもダサくてもいいさ
言いたいことも言えないこの世の中じゃアレなんだよ。
あなたもこう言われたことはないでしょうか?
- 綺麗じゃなきゃダメ。
- 格好よくなきゃダメ。
- 大学を出ていないのでダメ。
- 生まれがよくなきゃダメ。
- 上手じゃなきゃダメ。
- やり方が悪いからダメ。
- 楽をしているからダメ。
- あいまいだからダメ。
- ミスをしたからダメ。
- 完璧じゃないからダメ。
だいたいこの後のセリフに「あなたのことを思って」というのが出てきますね。
よっぽど命に関わるとか、財産に被害を被るとか、民間組織の大きな損失になるとかじゃなければ、無視していればいいです。
「~だからダメ」と無責任に言っているだけです。
気にする必要はありません。
「~だからダメ」とおっしゃる人たちは超人が普通にできるレベルを「普通」と言っているわけです。
凡人から見たら、まったくのダメダメで結構です。
だけど、努力を怠る正当化にしてはいけません。
超人の方法にも参考にすべきことはいくらでもあります。
今の自分にできそうな方法は何か?
と常に考え続けるべきです。
綺麗に書かなきゃいけない?
最初からきれいに書こうとするから、文章が書けなくなります。
お行儀のよい文章を書いたって何の意味もありません。
どうしても書きたいなら、白い紙に思いついた順に書いておいて、そこから原稿用紙に書き込んで、赤ペンで何度も訂正しまくればいいです。
出来上がったのをようやく、提出用の用紙に書き写せば、きれいに仕上がります。
凡人のやり方です。
凡人がうまくやるには、これしかできません。
超人向けのメソッドをやっても、習得できないどころかケガをします。
格好悪くてもダサくてもいいさ
誰かのためにできるなら、いいじゃないでしょうか?
万人にとっては不細工だの格好悪いだの気持ち悪いだの言われても、誰かのために何かできるのが格好いいといえるものじゃないですか。
誰かにとってのイケメンでいいじゃないですか。
半径5mの人たちを幸せにする存在でいいじゃないですか。
顔もよくわからない人たちが決めた基準に従って生きるよりは、自分の周りの人たちを幸せにするほうがずっと豊かになれます。
現役ホストのROLANDさんが言っている言葉はまさしくその通りだと思います。
世の中には2種類の人間がいる。俺か俺以外か
どんな人にとっても、自分か自分以外かでしかありません。
よくわからない人たちがよくわからない基準を、どれだけ設けて線引きしたとしても。
自分以外の人間とどうやって関わっていくか。
哲学です。
常に追求していかなければなりません。
誰からも好かれることはできません。
八方美人はありえません。
格好悪い意見を言ったっていいじゃないか
好かれようと思ったっていいけれど、格好悪く無様に映るときもあります。
それでいいです。
「過ちて改めざる、これを過ちという」というように、失敗したら反省する。
何が悪かったかよかったかを考える。
次のステップでは成功すれば問題ありません。
大丈夫だ、問題ない。
世間体を気にするあまり、無難にきれいに終わってしまってはよくないです。
誰の心にも刺さりません。
せめて毒になるぐらいでいいじゃないですか?
存在感を確かめてもらえます。
私の言っていることはきれいじゃないけれど、存在を認めてほしかったら、ある程度不道徳にならなきゃいけない部分もあります。
別にここでは犯罪しろと言っているわけではありませんからね。
うっかり犯罪して警察のお世話になっても、私は責任はとれません。
マキャベリズムという考え方をもっと浸透させるべきです。
意見を言うのがダサくてもいいし格好悪くてもいい。
それで人の心を動かすことができたなら大成功だ。
見た目のきれいさにだまされてはいけません。
綺麗な薔薇にはトゲがある。
危険じゃない範囲で勢いで行動しましょう。
猪突猛進で後先顧みずに行動する傾向にある人は、いったんは立ち止まって考える癖を身に付けておくとよいです。
何事もバランスです。
逆に考えすぎて止まってしまうなら、猪突猛進で行く癖を身に付けるのがよいです。
この方法はダサいけど、これでいいのです。
万人に突き刺さる言葉はありません。
いろいろコロコロと変わってしまっていいです。
その場の状況に合うのなら。
万人にとっては格好悪くてもダサくてもいいさ。
半径5mの人たちの間で格好良い人になればよいです。
ときどき私も人に嫌われたらどうしようと悩み過ぎるときがありますので、図太く生きる方法を模索しております。
外食がそれなりにあってもいいじゃないか
外食批判もいまだに多い。
ファーストフードやフルコースを毎日とかは確かに体に悪いかもだけど
こだわりのある美味しいお店でバランス考えながら食べたらいいだけで、偏った食材食べ続けたり、一人でつまらない食事するより外で食べた方が体にも心にも良い。
今は食材にこだわってるお店も多いし。
— はあちゅう (@ha_chu) September 9, 2019
女性のSNSの外食記録には「自炊しろ」「体に悪い」「母の味を知らないで育つ子供がかわいそう」などのコメントを残す人が少なくない。
知り合いの子育てインフルエンサーは外食率が高いという理由で(とはいえ週に数回レベル)アンチに児相に通報されたんだけど、外食が虐待扱いされるとかつらすぎ…
— はあちゅう (@ha_chu) September 9, 2019
外食をしたら心がこもっていない?
別に、外食したかったらすればいいじゃないでしょうか?
本人たちの勝手でしょう。
権利の相対性というものがやっかいで、他の人たちが楽をしているのを見ると、自分の権利が(相対的に)下がったと大騒ぎする人が多いです。
外食している人たちはあなたに直接害を与えましたか?
そういう質問をすると、だいたい「見ていると不愉快になるから許せない」という答えにならない答えを返してきます。
発声のあれと一緒です。
日系アメリカ人の声が日本人の見た目とあまり変わらないのに、白人と同じ声が出せる理由と一緒です。
骨格で声が変わると信じている人が「アメリカ人と同じ食事をしているから」と認めないのと一緒です。
話はそれましたけれど、外食しようがいいじゃないですか。
料理の苦手な女性もいるわけだし。
下手に焦がしたものを作って子供に食べさせたら、私はそれこそ愛情がないと思ってしまいます。
言いすぎかと思いますが、なるべくおいしく子供に食べさせることこそ、愛情がこもっていると思う人です。
外食だろうが手作りだろうが、そんなことはあまり気にしません。
私の母は手作りでいろいろ作ってくれますが、外食の日があったからといって愛情がこもっていないとは断じて言いません。
むしろ、外食を活用するのも冷凍食品を活用するのも愛情だと思います。
楽をしたら愛情がこもってないと怒鳴るなら、その人がまず手や足を動かせばいいと思います。
おそらく5分ももたずに逃げるでしょうが。
綺麗になんでもかんでもできなきゃいけない風潮っておかしいですよ。
人には得意分野と苦手分野があるわけだし。
私は人に意見をあまり押し付けはしません。
押し付けるときは、命に被害がでるときぐらいかな。
ある程度格好悪くたダサくたって、きちんと愛情がこもっていればいいと思います。
子どもにとってはそれが、母親・父親・おばあちゃん・おじいちゃん・おばさん・おじさん・その他大勢の地域の人たちを格好よく思うわけです。
よくわからない人たちが決めたよくわからない基準に従いすぎるのもどうかなあ?
迷ったときは、自分と自分以外というシンプルな法則に基づくのがよいです。
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