J-POPは強者側の音楽
「最近の音楽を聴いてもなんだか似たり寄ったり」
と思っている人はいませんか?
実は意図的にそういう音楽は作られています。
最近の歌詞を見てみると、恨み辛みや性格の悪さなど負の感情は完全になくなっています。
「愛している」とか「みんな」とかそういう単語しか見ないのは、まったくの偶然ではありません。
2010年以降のJ-POPは、ほぼそういう歌しかヒットしないというよりは、受け付けないようにしかなっています。
「若者が難しい言葉を理解できなくなった」というふうに言われていますが、私はこれについてはかなり疑い深く思っています。
本当にそう思うのなら、作り手の怠慢としか言いようがありません。
そういえば、フアン・ディエゴ・フローレス氏のマスタークラスでも、「理解しない観客が悪い」だの言っていましたが、
あまり難しい言葉を使いすぎてはいけませんが、私としては少し難しいぐらいでちょうどいいと思っています。
本来は分かってくれる人だけわかってくれればいいのです。
メジャーデビューすると、スポンサーの力が強すぎて、万人受けを目指さなければならなくなるのもまた事実です。
音楽が薄っぺらい理由
さて、はあちゅうさんのツイートを覚えていますか?
電通の先輩が、
「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の『普通の人』だ」
って言ってたの、一番役に立ってる教えの一つだ。
— はあちゅう (@ha_chu) January 30, 2017
今でもそこそこ炎上していますが、話はそこではありません。
お客さんは理解できないという前提の下で、薄っぺらいコンテンツを作り上げなければならないというものです。
現在のテレビ番組もそうでしょう。
バラエティ番組とクイズ番組があまりにも乱立しています。
正直ためになるような番組は地上波ではほとんどありません。
音楽は電通が支配している
音楽も電通によって支配されているといっても過言ではありません。
メジャーデビューした歌手もまた、電通のご意向に従わなければなりません。
強者側の歌詞を作り続けなければなりません。
中には強い者についただけで、自分も強くなったと錯覚して、他人の痛みに鈍感になる人も出てくるでしょう。
他人の痛みをどれだけ自分の歌詞に表現できるかというのが大切なのに、そういったものが一切抜け落ちているのが最近の音楽の特徴です。
他人の痛みを理解できることこそが想像力だと思っています。