香港でマスク禁止の「緊急条例」

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マスクは風邪ひいたときにも必要ですし、ちょっとしたほこりっぽいところの作業をするときにも必要です。
それでも、香港政府は民衆にマスクを禁止させる「緊急条例」を採決しました。

NHKニュースより、”香港 マスク禁止の「緊急条例」発動“の記事から最初のセクションを引用します。

香港政府トップの林鄭月娥行政長官は、記者会見で、議会の承認を経ずにさまざまな規則を設けることができる、「緊急状況規則条例」を発動し、抗議活動に参加する際にマスクなどで顔を隠すことを禁止する、と発表しました。

香港の林鄭月娥行政長官は4日、諮問機関の緊急の会議を開いたあと記者会見し、「暴力行為が各地でエスカレートし、警察との衝突も相次いでおり、平静を取り戻すことが強く望まれている」と述べて、議会の承認を経ずに、みずからの判断でさまざまな規則を設けることができる、「緊急状況規則条例」を発動し、抗議活動に参加する際にマスクなどで顔を隠すことを禁止する、と発表しました。

5日から適用され、違反すると、最高で禁錮1年の刑事罰を科すとしています。

林鄭長官は、「公共の安全が脅かされている状態を止めるための、緊急的な措置だ」として、条例の発動による措置は一時的なものだ、と強調したうえで、今月16日から再開される予定の議会で、改めて議案を提出するとしています。

香港で続く抗議活動では、参加者の多くが、警察による催涙ガスから身を守るとともに、当局から身元が特定されないようにするため、マスクやゴーグルなどで顔を隠して参加していて、香港政府としては、顔を隠すのを禁止することで、過激な行為を食い止めるねらいがあるとみられます。

緊急状況規則条例は、「公共の利益にかなう、いかなる規則も定めることができる」とされていて、発動されるのは、1967年のイギリスの植民地時代に市民が暴動を起こした時以来です。

市民の間では、今後、夜間の外出禁止など、政府がさらに制限を拡大させるのではないか、という懸念が高まっていて、反発が一層強まることが予想されます。

香港でマスク禁止の「緊急条例」の本当の意味

香港政府としては「過激な行為を食い止めるねらい」です。

それは建前で、本音は民衆の自己防衛手段を取り上げることにより、政府が民衆を支配しやすくするためです。
つまり、「民衆がケガしても死んでも自己責任だけど、自分の身を守ったらダメだからね」という意味です。
もう一つは警察が民衆に催涙スプレーを遠慮なく振りまけるようにするためです。

本当に過激な行為をしているのはどちらでしょうか?
それは言うまでもありませんよね。

デモ隊のほうが過激という人は、警察が民衆になりすまして火炎瓶を投げる動画を見たほうがよいです。
内部から崩壊させて、民衆同士の対立を煽るわけです。

こちらの記事に警察が火炎瓶を投げる動画があります。
香港デモの過激派は警察

日本も無関係ではない

香港のこういった条例は、日本にも無関係ではありません。
対岸の火事ではありません。
日本にもこのままでは将来同じようなことが起きるでしょう。

今政府による弾圧が少しずつ始まっています。
上級国民の不利になるようなことを言ったら、権力の無い人は消される世の中です。
既得権益が少しだけある権力者でもギリギリ消されない程度です。

上級国民は身内であろうと、自分たちの権威性を相対的に下げる者を粛清する人間です。
小泉進次郎さんもセクシー発言で話題になっていますが、問題はそこではなく、英語で自信満々に発表したからだと思います。
つまり「自分たちを出し抜いてはならず、下の人間を見て安心していろ。波風立てるな」と。

本当にそれでよいのでしょうか?
上の人間におとなしく従っていれば、その時はうまくいったように見えるかもしれません。利益が得られると思うかもしれません。

しかし、実態は違います。
利用されるだけ利用されて、最後には捨てられるだけです。
どこかで見極めなければ、そういう結末は必然です。

衆議院議員選挙では必ず投票しましょう。
自民党や公明党のやっていることに何とも思わなければ、棄権したり自民党や公明党に投票したり、あるいは白紙投票しても構いません。
本当に自民党や公明党が嫌いで嫌いでしょうがなければ、とにかく選挙当日に野党に投票しましょう。
白票はダメです。あれは得票結果が変わらないので、棄権するのとまったく同じです。

現状、野党に投票するという行為しか、今の政権に「No!」を突きつける行為はありません。
必ず選挙当日に投票しましょう。
己の無関心が最大の敵です。

最後に

香港の弾圧報道を対岸の火事と思ってはいけません。
政府の権力は肥大化するだけ肥大化し、自分自身も飲み込まれてしまうぐらい恐ろしいものです。
「民滅びて国栄える」の構図になってはいけません。
それでは武士社会よりも北斗の拳の世紀末よりも恐ろしいことになってしまいます。