アンパンマンが表現規制の対象に?

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アンパンマンを見た程度で暴力的になるのを懸念するぐらいだったら、世の中生きていけないよというお話です。
アンパンマンが困っている人たちにパンを分け与えたり、バイキンマンが陰でこそこそと努力をする姿をもっと教えてやるのが大人の務めです。
ただ「アンパンチ」のワンシーンだけでヒステリックになって、放送禁止だと叫ぶのはいかがなものでしょうか?

どんな世の中にもきれいな部分と汚い部分があります
きれいな部分だけ受容して、キタナイ部分だけ排除していくのはほとんどの場合において不可能です。
両方受け入れなければなりません。

アンパンチをされたバイキンマンの痛みを知ることもできる。
悪事をやってると最終的には自分に跳ね返ってくるよということを教えてくれているのではないのでしょうか?
ただやっつけるというのではアンパンマンはただの侵略者です。暴力男です。
どうしても悪事を止めるために、最終的に使わざるを得ない。
ヒーローもので言う「必殺技」ですね。
奥の手、切り札です。

格闘ゲームをやっている人ならわかるとは思いますが、必殺技ばかり使っていると、相手に読まれます。
威力の高い技だって当たらなければ意味がない。
弱い威力の攻撃で相手を攻めて、すきを見て威力の高い攻撃を当てる。
まあ、アンパンマンは自分から攻撃することはありません。

きれいなものだけ見ようとする人たちが多い

あなたは政治家に投票するときに、「浮気の噂は多いが、民衆のための政策をズバズバと実行できる政治家」と「清廉潔白な、何もできない政治家」、どちらに投票しますか?

能力で見たら「浮気の噂は多いが、民衆のための政策をズバズバと実行できる政治家」のほうが圧倒的に優れています。
けれど日本人でこっちを選ぶ人は少ないでしょう。
浮気というマイナスイメージのせいで。

清廉潔白な、何もできない政治家」を選ぶ人が多いと思います。
本当に何もできない人だったらいいんですけどね(笑)。
私たちに不利益な政策を決定できないのですから。
マイナスイメージが全くない人のほうが有能に見えます。
悪事を働かないという綺麗なイメージが先行するからです。
私たちに有益な政策を実行してくれるだろうと勝手に思い込みます。

政治的手腕の評価をするのに、決断力や企画力などの根本を評価するべきです。
しかし、誰と付き合っていたかという関係のない項目で政治的手腕を計ろうとするわけです。

学校の通知表で考えてみてください。
授業も毎回出席して、提出物も全部高評価で、テストも100点で、本来ならば最高評価になるべきです。
しかし、悪い人たちと付き合っていたという理由で、通知表はオール1になった。
本来評価するべきところと関係ないところで、通知表の評価しているようなものです。

キタナイ部分を見ないようにしても解決しない

悪い部分をどれだけ隠したところで、物事はよくならないどころかむしろ悪化します。
一時しのぎにすらなりません。

デメリットに対して、どうやって向き合っていくかを考え、その結果デメリットが小さくなったり、なくなったりするわけです。
最初から悪い部分を見ないようにするのは本末転倒ですし、因果関係が逆です。

幼児向けアニメの良い部分だけを見るのではなく、悪い部分に対しても注目したほうがよいです。
悪いところをそのまま真似したら、どういった問題が起きるのかを考えるきっかけづくりするのが大切です。

現実世界でやったらダメだからこそ、あえてアニメとかゲームとかが悪者扱いになってくれている部分もあります。

「悪者扱い」をどう見ていくか。
今後の課題ですね。