強いものいじめはタブーなのか?

この記事はアフィリエイト広告を利用しています。

イマッチのWeb!の内部のお話ですが、
Googleのサーチコンソールというものでチェックすると
時々「強いものいじめ」で検索されているということがわかります。

Googleで検索するとこんな感じですね。

マイナビニュースのページが1位で表示されていますが、
私のページも時々1ページ目に表示されることがあります。

ダウンタウンの松本人志さんが後輩芸人に好き勝手言えなくてイライラしているらしいということです。
私にはそんなことは知ったこっちゃありません(笑)。

特にこれですね(マイナビニュースから引用)。

「タチが悪いのが、お気軽なクーデター的な感じで『パワハラ』と言うヤツが増えてきた。この『パワハラ』は”強い者いじめ”ですよ」と指摘。「われわれは若手の頃、弱い者いじめをされて『クソ! 見返すぞ!』とがんばってそれなりの地位に来たのに、今度は”強い者いじめ”を受ける」と胸中を告白し、「本当にがんばりがいのない世の中になってきたし、教育的指導みたいなのがもうでけへんよね」と嘆いた。

まったく(´・ω・`)知らんがな。
先輩芸人から嫌な目に遭わされていたのに、自分も後輩に強要する?
弱いものいじめされてきたのに、自分たちも弱い者いじめを正当化してどうする?

先輩というのは、いるだけで威圧してしまうときがありますからね。
どんなに優しい現場でも。

特に学校の部活動や大学のサークル活動は、引退したら極力行かないようにするのがいいかと思います。
引退してもあれこれ口を出すOB・OGなんて、現役生からしたらただの口うるさいおじさんやおばさんにしか映りません。
状況に合った的確なアドバイスをするのならまだしも、後輩のやっていることが自分の気に食わないだけであれこれ口を挟むのは「ただの痛い人間」です。

まあ、脱線してしまいましたが、権威主義が強いところだとお偉いさん第一主義になります。
部下を何人路頭に迷わせようと、お偉いさんを守れればそれでよいのです。
上司に少しでも反対意見を匂わせる(別に言おうとしなくても)部下は必要ありません。

松本人志さんが言うのはそういうことでしょう。
「強いものいじめは上司に対するパワハラだ」と。

もちろんこれがまかり通っては、弱い人たちが反撃なり反論なりする手段がなくなってしまいます。
強い人は何をやっても許され、弱い人のやることは強い人の都合で善悪が決まってしまいます。

特に悪いのが、弱い人たちがこれを無条件に受け入れることです。
そう、奴隷根性としか言いようがありません。

確かに強いものいじめをすれば、強い人たちの権威性は失われます。
難しい言葉でいうと「毀損」(きそん)といいますね。
傷つけるという言葉です。
「名誉毀損」でよく使いますね。

少しでも権威性を守るために、強いものいじめをタブーとしています。

また権威主義社会では、弱い人が能力を高めるのもタブーとされています。
強い人の権威性が相対的に下がってしまうからです。
相対的にというところがポイントです。

私は、強い人の権威性が相対的に上がるか変わらないなら、弱者の行動は許されて、
少しでも下がるなら、弱い人たちの行動は許されないと考えています。

歴史的に見れば、権威主義的な社会は一時は大きな繁栄をもたらしますけれど、長期的には衰退するだけです。
だって強い人の権威性を相対的に下げることを許さないのですから、能力を持った人たちはその場を離れるしかありません。

またまた脱線します。
アメリカ合衆国では抵抗権によって銃の所持が認められています。
トランプ大統領が銃規制を一切しない理由としては、大統領は憲法を遵守するべきだと理解しているからです。
既得権益に忖度して税金を横流ししてしまえば、怒った民衆に射殺されてしまいます。
射殺される覚悟でやるからこそ、民衆の支持が得られるのではないでしょうか?

革命にしても、弱い人が強い人たちを討つということです。
それで権力側が下手なことができないように、民衆がけん制するものです。
本来権力側は偉そうにする立場ではありません。

メルマガ登録
メールアドレス:




powered byメール配信CGI acmailer