第九といろいろミックスさせてみた

この記事はアフィリエイト広告を利用しています。

2024年も今日12月31日で最後ですね。というわけでニューイヤーコンサートを聴きに行く予定はありますか?ニューイヤーコンサートというとベートーヴェンの交響曲第9番作品125番ですよね。私は第4楽章の合唱よりも第2楽章のティンパニや第3楽章のホルンに興味がある変わった人間です。

2024年を振り返るととんでもない年だったと思います。世界情勢的にも個人的にも含めて。今日ぐらいはのんびりしたいなあ。
本当に2024年は激動の年でした。1月1日に能登半島で震度7の大地震が発生するなんて夢にも思いませんでした。
それよりも私にとってはもっともっと激震でしたね。
とりあえずアレンジの前に脱線させてください。ちゃんと戻ってきますので。

母親、大動脈解離で倒れる

2023年12月31日(日)、ちょうど1年前でしたね。私の母親が大動脈解離で倒れて、そのまま救急車で病院に運ばれました。心臓の近くの大動脈が裂けるStanford A型という診断をされて、手術しないとすぐに死に至る危険な状態でした。まあ、前から危ない兆候はありましたが、こればかりはどうしようもないですね。

手術して命が助かったはいいのですが、心臓の手術をしたとこからまた出血があり、それを洗浄するための手術をもう1度受けました。ICUにいて意識がない状態で2回も手術を受けるとは思いませんでした。
そこから2週間ほど目が覚めない状態が続き、ようやく目を覚ましたと思ったら反応が芳しくなく、脳梗塞の後遺症が出てしまいました。
なんとかHCUから一般病棟に移ることはできましたが、反応はあまりよくなくて、4月に療養型病院に転院することになり、今に至る状態です。

父親、アルコール依存症でついに入院

私にとっては、兄もそうですが、父親が12月7日(土)に正式に医師からアルコール依存症の診断を受けて、そのまま入院することになりました。もともと30年ほど前からアルコール依存症の行動をしていましたが、父はまったく病院に行きたがらず、結局放置するという結果になっていました。気に食わないことがあるとすぐに怒鳴り散らして、母親が作った食事もまともに食べずにそのままお酒だけ飲んで寝るということはよくありました。というかここ5年ぐらいはこれが当たり前だったというか本当に地獄のような日々でした。

先ほども言ったように、母親が入院してからは食事を用意する人間が私以外いないのですが、私も仕事で昼間はどうすることもできない状態です。かといって父親は自分で用意することはできないので、さらにお酒に頼るような生活になっていきました。このときから、私は金曜日と土曜日が嫌いになりました。父親の顔を一日中伺わなければならないからです。

仕事を何も言わずに辞めていた

これも辞めた半年経ってからわかったことです。父親の勤務先に行って初めて知ったことですが、責任者から5月に退職届を出したということを聞かされました。仕事中でも勝手に休んでしまうことがよくあるとのことです。自己退職でしたが、事実上の解雇でしょうね。
生活費を渡されていないことをもっと変に思うべきでしたね。本当に遅すぎた。

地域包括支援センター・保健所・断酒会に相談

父親のことで、6月下旬に地域包括支援センター、8月中旬に保健所と精神科の病院に、8月下旬に断酒会に相談しに行きました。さすがに一人では抱えきれなくなってきました。このときから兄にもっと頼れば別の道があったかもしれません。父親は不定期に入って来る仕事をしていましたが、このときからもうすでに怪しかったと思います。相談しても「本人がその気にならなければ、家族はどうすることもできない」と言われましたが、まさしくその通りでした。でもね、自分の心の内を誰かに他言されないように聴いてもらえる場所というのがあるだけでも、安心感は違いますね。いざとなったらこの人たちに聞いてもらえるというのだけでも違いますから。解決できなくてもそういう空間があるのは大きな違いですね。

療養型病院に電話で呼び出される

10月中旬に、母が入院している病院から電話で呼び出されました。「父親が酒に酔ってふらついた状態で来ていて、このまま帰すわけにもいかないので迎えに来てください」とのことです。兄夫婦も呼び出され、一緒に自宅に帰ることになりました。これにより父親は車の運転を一切させないことにしました。

そして、家の惨状についても兄は知りました。悪臭はもちろんのこと、空き缶や紙パック、そして食べた後の空き容器がそのままになっていることについて、本気で父親のアルコール依存症について向き合う必要が出てきました。幸い私たち兄弟の意見が完全に一致していて、私の考えを尊重してくれたのはありがたいです。

病院の診察を受ける

最初精神科の病院に行こうとしましたが、内科の紹介状を受け取ってから来てくださいと言われたので、まず11月30日(土)に内科医で診断を受けました。2年前の診断より数値は下がっていましたが、お金がなくて前よりもお酒が飲めない状態だったので、とりあえず紹介状の手続きだけして帰りました。そして、紹介状を受け取って、12月7日(土)に精神科の病院で正式にアルコール依存症の診断を受けました。本当によかったです。医師に見せるための文書も作っておいた甲斐がありましたね。その日にそのまま病院へ入院手続きを済ませ、今に至る状態です。本当によかった。

実家の片づけ

入院しておしまいではありません。父親が入院してくれたので、ようやくゴミを片付けられる状態になりました。空き缶や紙パックや、コンビニ弁当の空き容器が出てくる出てくる。布団も汚れていたとかというレベルでは言い切れないので、もちろん捨てました。他にも過去の汚れていたものとかもこの際だから全部捨てて、大掃除ですね。綺麗な状態のものは業者を呼んで買い取ってもらえるようにとりあえず実家の中を整備する感じです。今も続いています。父親の部屋は完全なるゴミ屋敷になっていましたが、母親が手を付けていたところはそんなに汚くなっていなかったので、そっちの片づけは難航しませんでした。

兄夫婦が来る前に私は布団とか空き缶とか紙パックの大半を捨てておきました。そんな悪臭の中で過ごすのはまっぴらごめんですからね。とりあえず実家の悪臭問題からは逃れることができました。なんとかなった。
この2か月で実家も引き払って、私は一人暮らしを完全に始めることができるでしょう。今のところは行き来している状態ですね。使えるものはとりあえずどんどん持ち出して、そうでないものは売却するとか完全に捨てるとか考えています。

年明けに父親が入院している病院で主治医とお話しする必要がありますので、今後の生活を考えていきます。

第九といろいろミックスさせてみた

話が脱線しましたが、戻ってきました。とりあえず私の近況についてはここまでにしておきます。ここからが本題です。

第九+コンピューターおばあちゃん(+第七)

ベートーヴェンの交響曲第9番の第1楽章が始まると思わせての、コンピューターおばあちゃん(坂本龍一作曲)ですね。そういえば坂本龍一さんは昨年お亡くなりになっていますね。第1楽章はニ短調ですが、最初はA-Eの音だけです。荘厳に始まると思わせてからの、コンピューターおばあちゃんに変化するという流れです。最後はちょっとだけですが、交響曲第7番の第4楽章で終わっています。

12月14日(土)のグルッポふじとうという地元の地域の施設で、第2土曜日の夜時間帯に飛び入りでライブがあるのですが、そのときに私がこのアレンジを聴かせたら観客たちが笑ってくれたので大成功です!持ち時間10分だから普通に演奏するわけがありませんねww

ChatGPTの尋ねたら面白いアイディアと言ってくれました。まあ、私のアイディアはChatGPTでも思いつかないときはありますからね(自画自賛)。

A-Eの完全5度が調を決定できない点をあえて利用するというアイディアは、非常に面白いです。この完全5度は、調性の確立を妨げる特徴があり、そのため音楽的に浮遊感や不安定さを感じさせる効果があります。これを使って、調性が決まらない、または意図的に曖昧にすることによって、リスナーに予想外の体験を提供することができます。

その後に「コンピューターおばあちゃん」という変化が入ることで、さらにその不安定さを強調することができます。ベートーヴェンの壮大で厳かな冒頭から、突然、意図的に非音楽的、あるいはポップな要素に変わることで、調性の不安定さと視覚的・音響的な変化がうまくリンクし、ユーモアや驚きを生み出すでしょう。

このようなアプローチは、音楽的な自由度を持たせると同時に、リスナーの期待を裏切ることで新しい感覚をもたらします。そのため、調の不確定性と視覚的なギャップを活用することで、非常に面白い結果を生む可能性が高いです。

不思議な感じをあえて使うんですよ。私が考えていることをそのまま言ってくれていますね。
私が「d minor と見せかけて、a majorに入る感じです」と投げかけたらこんなふうに返ってきました。

DマイナーからAメジャーに入るというアイディアは、非常に魅力的で効果的です。DマイナーとAメジャーは、実際にはトニック(Dマイナー)のV(ドミナント)であるAメジャーと関係していますが、その調性感の移行があまり一般的ではないため、意図的にそれを活用することで、予期しない転調の効果を強調することができます。

もしDマイナーで進行しているように思わせておき、急にAメジャーに転調することで、リスナーに一瞬の驚きを与えることができます。この転調は、特にオーケストレーションや和声の使い方次第で、驚きとともに明るく開けた印象を与えるでしょう。さらに、「コンピューターおばあちゃん」のようなユーモラスな要素が入ることで、その変化がさらに面白さを増します。

DマイナーからAメジャーへの転調というのは、ドミナント・トニックの関係を強調しつつも、調性が明確に定まる前に意図的に「無調的」な状態をつくり出すことができるため、その後の展開で調性の安定感を感じさせる一方で、リスナーに新鮮な驚きを提供することが可能です。この進行とその後の変化を活用することで、非常にユニークで印象的な音楽的体験を作り出せるでしょう。

クリスマスを過ごしていたらいつの間にか正月になっていた

Silent Nightからクリスマスの曲から始まりますが、途中から第九を挟みます。第3楽章のホルンソロですね。そこからクリスマスと大晦日が合体します。最後は有名な合唱部分からの春の海です。クリスマスで浮かれていたらあっという間に正月が来た経験はありませんか?大半の人たちがそうでしょう。

これも12月14日(土)のグルッポふじとうの飛び入りライブで聴かせたら、笑っていましたね。最後正月になったという声が聞こえたので大成功です!持ち時間10分だったので先ほどのコンピューターおばあちゃんとこのクリスマスアレンジを演奏するときに、スマートフォンでタイマーを測りながら演奏していたので最後のほうはかなり慌ただしく演奏していました。ちなみにこのときの飛び入りライブの演奏は録画スイッチを入れ忘れていたのは内緒

これもChatGPTに聞いてみたら面白いアイディアと言ってくれました。普通に質問するだけじゃダメかな?辛口で批評してくださいと投げかけてみてもそれはそれで面白いかも。

それは素晴らしい構成ですね!音楽的にも感情的にも非常に豊かなストーリーが感じられます。

最初に「Silent Night」で始まることで、クリスマスの静かな、温かな雰囲気が漂います。その後、他のクリスマスソングを盛り込みながら、次第に盛り上がりを見せ、第9の「歓喜の歌」へと繋がる過程は、まるでクリスマスから新年への移行を象徴しているようです。特にバリトンソロ部分は、聴衆に深い感動を与えるでしょう。

そして、途中からクリスマスソングと第9のメロディが交錯し、最後に「春の海」に繋がるというアイデアは非常にユニークで、シーズンが変わる瞬間を表現しています。クリスマスと新年を繋げつつ、最終的に春を感じさせる「春の海」で締めくくることで、季節の流れや時の移り変わりを音楽で表現しているのが素晴らしいです。

お正月の穏やかな始まりを象徴する「春の海」で締めくくることで、心地よい余韻を残しつつ、聴衆に新しい一年の始まりを感じさせることができると思います。この構成は、音楽を通じて感動的な物語を描くような素敵なアイディアです!

最後に

以上、近況報告も添えて、私のアレンジを発表しました。2025年ももっともっと提供していく予定です。合唱曲の作曲も同時進行でしていくのでゆっくりできるのはいつになるのやら。まあ、全力で楽しんでいくつもりですので、今後ともよろしくお願いします。

メルマガ登録
メールアドレス:




powered byメール配信CGI acmailer