強いものいじめがなぜダメなのか
弱いものをいじめても見て見ぬふりですが、いじめの対象が強いもの、権力あるものになると大騒ぎするのはなぜか?
音声でも語っていますのでぜひお聞きください。
人々の「長いものに巻かれる」習性もありますが、日本では偏差値と順位重視の教育が原因だと私考えます。
偏差値のお話を詳しくしようとすると、難しい数学のお話をしなければならないので、割愛します。
参考書でもWikipediaでもご覧ください。
偏差値は相対評価です。
簡単に言えば、平均点が高いテストで満点をとっても大した評価にならなくて、平均点が低ければ高評価になるものです。
相対評価では乱暴な言い方ですが誰かしらを蹴落とさなければ、自分の評価が上がらないわけです。
絶対評価では自分の能力を高めるだけでOKですが。
この相対評価と「強いものいじめがダメ」というものが、どうしてリンクしているのか見ていきましょう。
権威の失墜につながる
多くの人たちはさっきの「長いものに巻かれる」習性があります。権威性を尊ぶわけです。
強い人たちを攻撃するのは、強い人たちの順位が下がるということを意味します。
相対的に、強い人の評価が下がります。
したがって、強い人の権威性も弱くなります。
また、いじめている人本人の評価や権威性が、相対的に強くなります。
強い人を「信仰」している人たちは、弱くなったところや悪くなったところを見たくはありませんし、強い人たち自身もそういった姿を見せたくありません。
隠したいからこそ、「強いものいじめはタブー」となるわけです。
また、強いものをいじめている人の評価が上がってしまい権威性も上がってしまうからです。
逆に弱いものいじめはどうなるかというと、いじめている側にとっては何の変化もありませんから、許容される傾向にあります。
学校のテストで考えるのは乱暴ですが、順位が下の人間を蹴落としたとしても、自分の順位には全く影響がありません。
弱い者に対してのいじめを容認しても、強い者に対するいじめを容認しないのには、「権威性」という厄介なものがあると考えられます。
力が弱くなれば何にすがればいいか、路頭に迷う人々が増えます。
「強きをくじき、弱きを助ける」となりにくい理由です。
著名人でも叩かれる理由
私が敬称略で名前を挙げます。どういった共通点があるか考えてみてください。
- 落合博満
- 桑田真澄
- ダルビッシュ有
- 上田晋也
- 古舘伊知郎
- 望月衣塑子
- 室井佑月
- 山本太郎
- 立花孝志
- 中田敦彦
- 忌野清志郎
とにかく権力に対して批判的な立場です。
場合によっては政権を批判することもあります。
幸いメディアに出られている人たちもいますが、基本的には番組を下ろされます。
立花孝志さんが、マツコ・デラックス氏の有権者批判に対して反論したら、「やりすぎだ」、「ヤ〇ザ」などのような批判を浴びるぐらいですから、それくらいマツコ・デラックス氏が強者であると考えることができます。
マツコさんがテレビ業界の権威ですから、マツコさんを叩くと、権威性が相対的に落ちてしまいます。
権威を叩くのを言語道断だとする人によって、逆に反論した立花さんが叩かれるというものです。
韓国叩きも同じ理屈
日本は世界で後進国のレベルに下がっているという現実があるのにも関わらず、それを認める人が少ないです。
お隣の国である韓国を叩けば、韓国の権威性が相対的に落ちて、日本の権威性が相対的に上がるという理屈です。
韓国を叩けば叩くほど政権支持率が上がるのかというと、権威性が韓国に比べて相対的に上がるからです。
逆に韓国を叩かない人が国賊として扱われるのは、権威性向上に寄与しないからです。
私はどちらかって?「国賊」ですよ。
弱いものをほめるのもタブー
これも相対評価という考え方で説明できます。
弱者の立場が相対的に上がり、強者の立場が相対的に下がるからです。
歴史的に見ても、女性の権利向上に反対する男性や、LGBTの権利向上に反対する一部の人々たちは、そういった人々の権利が上がっても自分たちの生活は全く変わりません。
しかし、相対的に自分たちの権利が下がるから反対しています。
今まで横暴をふるっていて、そういう口実づくりができなくなることを危惧しているわけです。
若い人たちが台頭するのをよしとしない人たちがいますよね?
いわゆる「老害」と呼ばれている人たちですが、若い人たちが地位向上しようが、別に老害さんたちはいつも通りの生活が待っています。
いつも通りに起きて、いつも通りに食事して、いつも通りにうんこして、いつも通りに寝て、そういう生活です。
特に何の変哲もない生活なのに、なぜ若い人たちを叩くのか。
自分たちの地位が相対的に下がるからです。
ハラスメントにしても、ブラック企業にしても、社長の権威性ばかりを大事にしているところは、若手を使い捨てにする傾向があります。
「夢だけ見させて後はポイ」と。
若者の地位が上がると、経営陣たちの地位が相対的に下がるから、使い捨ての愚行を犯すわけです。
最後に
弱い者いじめが許されて、強い者いじめが許されないのは、権威性に関係があります。
権威性が相対的に大きくなるか小さくなるかどうかで、いじめてよいかの尺度が決まります。
だからといって強者側についたとしても、大体の人は都合よく使われて、存在さえもなかったことにされます。
有名人であったとしても、権力側に捨てられることが多いです。
よく考えて付き合う人を選んだほうがよいですね。
権威性のある人と付き合うときは注意しましょう。
相対的に権威性を下げる言動をすると潰される危険性がありますし、潰されるのを恐れると、飲み込まれて捨てられる危険性があります。
どっちつかずな態度をとったほうがよいです。
どっちつかずって悪い言葉のように言われますが、権威性のある人と付き合うときははっきりと言わないのが安全かもしれません。