マキャベリズムが浸透しにくいわけ
「ずるいのはダメ?」で語った内容をそのまま繰り返すような感じです。
だいぶ過去の話を引っ張り出していますねwwww
清廉潔白に生きるのが一番よいです。
叩かれる要素は少ないほうがよいに越したことはありません。
議論の際に、話題をすり替えられる可能性が少なくなるからです。
しかし、清廉潔白に生きるのが手段ではなく目的になるから問題です。
それだけのために、立場の弱い人の利益を犠牲にするどころか不利益を被らせることになるなら、多少のグレーゾーンも認めようという判断です。
手段と目的が逆転すると、物事の本質が見えにくくなってしまいます。
逆転するとどうなるか?
立場の強い人が極端に有利になります。
聞き心地のいい言葉で不利益になることを平気で隠します。
人々はクリーンな言葉に騙されます。
特に権威のある人であればあるほど。
学校でも清廉潔白さが強調されて、少しでも汚れたところを見せると一斉にみんなで寄ってたかって叩きます。
本質よりもきれいであること。
それが重視されては、物事を理解することが困難になります。
既得権益に片足だけ突っ込んだ人は強いんですが、それを言うとなぜか顔を真っ赤にして怒りを示す人が多いです。
特に成り上がり政党に対して、少しでもクロだと、怒り心頭で叩きますね。
既存の政党のほうがどことはいいませんが、いろいろ犯罪の証拠が出てもダンマリですよね。
清廉潔白じゃないことに対して怒りを示すなら、全部の政党に対してじゃなきゃおかしい。
ノート提出の意味
綺麗に書くことが目的です。
物事を理解させることは二の次です。
途中式もあまり書いていなくて、まるで教科書のようにきれいに書いてあるノート。
色も使い分けて、大事なところはマーカーしてある。
極力きれいな字で書いて、メモも消す。
鉛筆やシャープペンシルにこだわる。ミスったら消さなきゃいけないから。
綺麗に書くことが目的になったら、そもそもノートを作る意味がありません。
教科書を見ればいいですから。
そういう人に限って、テストの点はあまりよくないですね。
理解するという目的の達成のためだったら、別に字は汚くてもいいし、先生の言っていることはある程度省いている。
ノートって本来はそういうものだと思います。
別の記事で、私のノートの取り方でも書いてみようかな。