アスリートは競技そのもので評価されない。容姿や言動で他の要素で評価される
高梨沙羅さん、「ノルディックスキー・ジャンプ全日本選手権」3連覇おめでとうございます。
「高梨沙羅の顔に残酷なネットバッシング、女性アスリートが求められる“純朴さ”」のニュースを読んで思ったことですが、アスリートは競技そのもので評価されないんだなあと思います。
容姿や言動で他の要素で評価されている現状です。
アスリートは競技そのもので評価されない
ヤフーコメントは荒れていますね。
あまり見るべきではありません。
「おめでとう」と素直にいえない人の多いこと。
もしかしたら、高梨沙羅さんは長いものに巻かれるのが嫌な人間だから叩かれているのかもしれません。
「アスリートの爽やかさが無くなりました…」
「もはやアスリートの姿形ではないよ」
「可愛い高梨沙羅のイメージしかないのだが、なんだか別人みたい」
「今の高梨沙羅は、私が好きだった沙羅ちゃんじゃない」「好感が持てなくなった人も結構いるのでは?」
というコメントが相次いでいますが、
余計なお世話
としか言いようがありません。
競技の内容で評価してくれよとしか思えませんよね。
日本では容姿で評価されやすい
20歳過ぎれば、お化粧を普通にするでしょう?
それを「色気づいたからダメ」などと言うのは全く筋違いです。
そういう人たちは、逆にお化粧しなかったら、
「いつまで子どもっぽさを出しているの?」
と十中八九言いますね。
日本のマスメディアでは、容姿で評価するのが当たり前のように感じます。
人の顔を見て「ブス」とか本当に何様なんでしょう?
顔は簡単に変えられません。
「ブス」のたった一言で、その人は今まで容姿について大して気にせず明るく振る舞っていたのが、神経質になって自分の顔のことでずっと悩まなければならない事態も十分あり得ます。
特にその人とは何にも関係のない人たちが言うのだから、無責任極まりないと思います。
本当に信頼関係があって、相手がすぐに面と向かって反論できるような場合でも、気を使わなければならない言葉です。
軽々しく使いすぎな印象です。
コントロールできることを指摘したら「パワーハラスメント」だと言って大騒ぎに、容姿など生まれ持ったものについてあげつらうのはだんまりです。
容姿についてあれこれ言うことこそ、ハラスメントです。
それこそ人権団体が大騒ぎすべきなんですが、実情はお察しください。
容姿が伴っていても…
この手の大騒ぎする人たちは、アスリートたちの容姿が良くてもなかなか認めようとはしません。
今度は恋愛関係や持ち物、出自などで評価します。
容姿が良くても、恋愛関係で「浮気」をしているだけで、いい記録を出しても認めません。
仮に世界記録を樹立したとしても認めないでしょう。
「色恋でキタナイからダメ」と。
今度は恋愛関係で「健全」だったとしても、持ち物が彼ら彼女らの言う「良い」基準に入っていなければ認めないでしょう。
「プライベートで高級車を乗り回していたり、高級なかばんを持ち歩いているからダメ。贅沢は敵だ」と。
持ち物がよくても、家柄や出身国で判断されます。
「この人の過去を見たら、〇〇の出身じゃん。だから時々品がないんだね」と。
この手の人たちは条件をクリアしても、どんどん追い求めてきます。
一般人だったら無視してよいとは思いますが、有名アスリートの多くはスポンサーと契約していますので、スポンサーのことも考えなければなりません。
あまり悪評が立ちすぎると契約を打ち切られてしまうので、なんとかこの手の人たちのご機嫌をとらないといけないのも難しいところです。
好感度商売じゃないのに、好感度を考えて行動しなければいけなくなる。
選手たちは競技に専念したいのに、競技とは別のところで評価されるから、そっちも気にしなければならない。
容姿でバッシングするのは、はっきり言って営業妨害ですよ。
勝手に持ち上げられて(こちらから頼んだわけでもないのに)、ちょっとでも悪い点が見つかれば勝手に失望される。
そういえば、ちきりんさんのブログにこういったのがあったので、ぜひともお読みください。
最後に
アスリートは競技そのもので評価されず、容姿や言動で他の要素で評価される現状についてだらだらと語りました。
アスリートだけではないんですよね。
顔の見えない職業、たとえば声優やラジオのDJも声そのものではなく、容姿で評価されるようになっています。
声だけ聴くのだから顔は関係ないとは言えないようです。
「ファンを失望させないように」という便利な言葉で、顔はお世辞にもよくはないけれど技術は素晴らしい人がどんどん潰されていっていると思います。
どの世界でも見た目の印象だけにとらわれて、物事の本質から遠ざかっているように見えます。